イジメの本当の怖さ
こんにちは。
近年、虐待やイジメについての事件や統計が数多く報道されるなか、イジメられていた側の人間として記事を書いていこうと思いました。
私は、幼少期より男勝りな女の子でした。
幼稚園は父の収入が当時は比較的高く一人っ子だった(のちに、弟が生まれる)ため、私立に通っておりました。
幼稚園児は皆男女の区別など無い時期ですから、私は順風満帆でした。
私の人生に初めて影が射したのは私立幼稚園から地元の公立小学校に上がり3ヶ月程たったころ、上履きなどを隠され始めたことから始まりました。
当時はイジメとは思わずただのイタズラ程度しか思っておらず、先生に相談し上履きを一緒に探し出しました。
犯人もすぐに分かり事件は終わったかのように思えました。
しかし、過度なイタズラをしたのにも関わらず、少し注意を受けただけで終わり、私も殆ど怒らなかったせいか、私には何をしても良いなどという風潮が徐々に蔓延っていったのです。
小3になる頃には、廊下や教室など他の子がいる前で堂々とキモい、消えろ、臭い、バイ菌などの暴言を言われるようになり、仲良くしていた子らも次々とイジメに加担してしていくようになりました。
男勝りで負けず嫌いな私は、イジメの主犯格の男子らを捕まえようと追いかけ回したことさえありました。追いかけ回すようになると男子たちも、逃げる方法を模索し始め、遂には男子トイレに逃げ込んだのです。
短期な私は男子トイレに向かって誰も使用中でないか声を張り上げ尋ねると迷わず、入っていったのです。ただ、この面倒なイジメから解放されたいがために。
この異性のトイレに入った事件は私がイジメっ子を追いかけて入ったと周囲には伝わらず、ただ私が男子トイレに好んで入ったと周囲に受け止められ噂は広がりました。
この事件以降、私はますます頭のおかしい子のレッテルを貼られることになりました。
勿論、こうなるまでに先生には三度も伝えましたが、良くて相手に形式上謝らせるだけで、何も変わらない状態で、ある先生はイジメられる側にも問題があるなどという、発言と共に母に精神科の受診をすすめることさえありました。
小学校を卒業するころには、図書室に休み時間は避難し授業が唯一の楽しみになりました。少なくとも、授業中はいじめられなかったためです。
中学に進学しても小学校のほぼ全ての児童が半ば自動的に同じ中学に行くため、イジメは継続されました。しかも、他の小学校出身者にも私はイジメられる側として周知されるようになり、他の小学校出身者もイジメてくるようになりました。
小学校後半から中学にかけては下の学年の子に罵倒されたこともありました。
今考えると何故に後輩に罵倒されなくてはならないのかと思いますが、全てを諦めていた私は何もしませんでした。
何もしなかったのは、人を信用することも人に期待することも無くなり、全てキッパリ諦められるようになったから。
でも、その心は正常ではありませんでした。
その証拠に殆ど笑わなくなった私の顔の筋肉は少し笑うと筋肉痛になるほどだったのです。
中学で何もかもイジメの延長上なのだ。
周囲には何も期待しない代わりに、自分に期待したくて、今までやったこともないソフトボール部に入りました。入部のきっかけは父の野球好きと唯一優しくしてくれた子でした。
優しくしてくれた子は、大変な努力家で分け隔てなく接し人望が他の子だけでなく教師や他学年からも非常に厚い子でした。
努力家であるその子はは、ペンを握らせれば常にトップクラスの成績で運動も出来る、私の憧れでした。
親すら、信用しているのか分からない精神状態で最も頼ったのはその子でした。
その子の前ではありのままでいることを意を決し、過ごすようになりました。
すると、どうでしょう。
類は友を呼ぶなのでしょうか?
その子と私の周りに集まってきたのは、何かに一生懸命だけど、他の子といると浮いてしまうほど個性豊かな子ばかりが集まってきたのです。
残念ながら、日本人の気質上、個性が強すぎるのは真っ先にイジメに合う確率が跳ね上がります。
一人一人の個性は尖り過ぎていたはずなのに、一所に集まると尖った場所同士がくっつき合うようにピタリとはまり、私達は学校内外でも有名になるほど、部活として活躍しました。部活の活動が広まると同時に仲の良さまで広がりました。
私は、今でも彼らと時間が有る限り集まり過ごしています。
それでも、私がイジメられていた過去は消えてくれなくて今でも人と接するのが億劫になります。
どうせ、高確率で信用ならない相手であると。
イジメっ子たちは、きっと私のことなど忘れているのでしょう。
会っても、ああこう言う奴いたなぁで終わり。
でも、未だに彼らに泣き問い詰めたいと思うほど私の心は傷ついています。
五年後、十年後、もし彼らにあったならば、どのような顔をしてやってくるのでしょうか。
きっと、イジメた過去はすっぱりと忘れているのでしょうね。
彼らに再び会うその時は、復讐してやりたい。
彼らより、充実した生活を見せ付けてやりたい。
そんな考えと共に、今日も私は生きている。