兄弟の扱い方と教育。文化資本と経済資本の観点から考えてみる。~読書が好きな子と嫌いな子が同時に育った家庭の話~

文化資本格差は同じ家庭に生きる兄弟同士でも起こりうる。

というのも、私は小説など大衆のものになってしまうものの読書が好きだからだ。

お堅い本も勿論、気が向けば読むけども。

しかし、5歳年下の弟は本や勉強が大嫌い。

アレルギー起こしているのかというレベルで嫌いなのだ。

私たちは下位高校卒で読書・勉強嫌いの両親に育てられた。

姉の私は生まれつき持病があり通院など多く拘束時間も長かった。

私たちは母譲りの目の悪さから長らくゲームを与えて貰うことが出来ず、ゲームを持っていないという理由で仲間外れにされたこともあった。

私が中学入学と同時にゲームが我が家で解禁することになり中学生になってから初めてのゲームとなった。

このとき、弟は小学校に入学したばかりであったが姉のゲーム解禁と共に与えられた。

私は、母の自分みたいに読書嫌いにはなって欲しくないという思いから良く図書館に連れていかれた。

さらに、テレビぐらいしか家に娯楽がなくテレビも一日の視聴時間の制限があったことや年下の子しかいなかった為暇を持て余した私は暇つぶしに本を読むようになっていた。

小学校中学年で未だに読み返すような面白い本に出会い、読書に私はのめり込んでいった。

片や弟は文字を難なく読めるようになったころにはゲームがあった上に、姉の通院のせいで、図書館通いも少なかった。

 

だから、今も読書に苦手意識があるのだろう。

先日、私のもとに弟が受験に向け国語の勉強方法を教えてとやってきた際に、本を読めというと「姉ちゃんみたいに本好きじゃねーし。良いよな、本が好きな奴は。」というので「ゲームもテレビもスマホのない生活を何年もしたら本でも楽しいと思うようになるよ、やってみる?」と言ってやりました。

 

私も含め、若者は無い無いづくしの中で生活することをしてこなかったからこそ、価値観が上の世代(親・祖父母世代)と隔離されているのかなと思う。

 

確かに弟の生活環境は私が持病のせいだったこととは言え、両親を年少期の弟から奪ってしまったのは悪かったと思う。

年少期に教育されるのはやはり人生において絶対的な価値観の指標になるのではないかと思う。

ある意味で、<弟から姉が教育的機会を奪った>と言えると思う。

今、弟は受験生で国語などの勉強に困難を抱えている。

私は弟にかつて与えられたであろう機会を少しでも戻せるように弟の学習環境改善の為、図書館に行く、勉強時間は一緒に勉強するなどをしようと思う。

勿論、夏休み中は稼ぎ時なので昼は働くことになるとは思いますが、夕方から夜にかけてやっていこうと思います。

 

ちなみに私がこの記事を書くこととなったのはこの記事を読んでこれ我が家に当てはめたらどうなんの?と思ったからです。

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