「これが俺の幸せだ。」大学生の娘は父の話に、感動を覚える。

 私は大学二年生になり、学校側からインターンセミナー、就職についての話が出る季節となった。

 学校側からの「キャリア教育」の話を聞くたびに

”仕事とは何か。”

”働くとは”

”自分に向いていること”

ってなんだろう・・・

そう考えていた。

 私は複数の持病があることから、すぐに体調を崩し寝込む。

アルバイトをしているが、ときどき穴を空けることも何回もあった。

 先日なかなか体調が戻らず三回連続でシフトに穴を空けた。

店長からは「困るんだよね、皆がさ。穴空けるんだったら、シフト組まないから」と次のシフトに入れて貰えなかった。

 

 ”自分に非があるんだから仕方がない”

 ”まさか、このまま首になったりはしないよね”

 ”でもどうしよう。どんなに気を付けても年何回かは何日も寝込んでしまう。次、具合悪くなったらどうしよう”

 ”実家生活の学生アルバイトなんだから今首になっても、すぐ路頭に迷うことはない。でも、社会人になったら?”

 

そう考えると、不安で不安で涙が出た。

 

”もっと、丈夫な体だったら”

”あの時、親の静止を振り切って無理をしてでもバイトに行けば、こんな事言われなかったのかな”

”今すぐ、丈夫な体に生まれ変われれば良いのに”

 

そう考えた。

 

考えたってどうしょうもない事なのに。

 

考えずにはいられなかった。

 

悔しかった。

 

好きでこんな不便な体で生活してるんじゃ、ねーんだよって。

 

言いたくて、泣き叫びたかった。

 

言ったところで、

「持病なら仕方ないね。シフト入れなくてごめんね。」

とは、どう考えても言ってはくれないだろう。

 

バイトを休んだ、シフトに穴を空けた、迷惑かけた、しかも連続で。

この事実は無くならないのだから。

 

だから、自室で泣いた。今も泣いている。家族に、親にバレないように泣いている。

親を困らせるだけだから。

 

そんな時、父がしてくれた話を思い出した。

話の内容は

 

「俺は収入は多くないし、良い会社に勤めている訳でも、会社で特別エライ立場ではない。でも、俺は幸せだ。俺は中学高校の頃、将来は社会人になって、結婚して、子供がいて、年に何回かでも家族とちょっとした遠出出来る生活が良いと思っていた。今、それが叶っている。だから、これが俺の幸せだ。」

 

というものだった。

聞いた時、なんて向上心がないのかと思った。

スキルアップ為の勉強もしないし年収は平均年収いくかどうか。年によっては下回る。

家のローンだって、半分近く残り返済が大変だ、もう少し、ゆとりがあると家を買った時は思っていたと母は言う。

 

それで幸せか?って思った。

借金まみれとはいかなくても、そこそこ貧乏なのにと。

 

でも、今この瞬間に、思い出し思ったことは違う。

 

”あの時、父を少しバカにした気持ちになったけれど、自分より、とても良いのではないか?”

”少なくとも自分に出来る身の丈にあったことをして堂々としているのではないか”

”今の持病を理由に傷つけられたと感じている自分より、かなりマシなのではないか”

 

と、思った。

 

そして、

”やってしまったことは仕方がないし、首にされるかもしれない。そして、社会人になってもこの悩みは付きまとうことだろう”

”そのたびに、首になるリスクはあるかもしれない”

”しかし、生きている以上一定の年齢になればなんらかの収入を得なくてはならないし、仕事出来ないので死にますとも言えない”

 

 であるなら、いっそのこと、きれいさっぱり、なるようになれとばかりに、開き直ることにした。今は大学生で何年か後には社会人になっているだろう。具合悪くなって休むのは仕方ないよね、首になっても仕方ないよね・・・と開き直るのは、責任ある大人の心構えとは全く逆の考えだろう。

 でも、私にはこれしかないような気持ちだ。

 無論、そうならないように善処するがなったらしょうがないと思っていないとやっていけない。

 

”私は不器用な人間だから”

”全力を尽くすがなってしまったら潔く諦めよう”

 

そう思った。